アテの由来 アテ造林の由来は、天然生林などから採穂して造林したという在来説と、奥州からの渡来説とがある。 渡来説には2つあって、その一つは、元祖アテにまつわる伝説である。これにも2説あって、その一つは、 奥州の藤原秀衡の三男泉三郎秀衡が、文治五年(1189)に輪島市門前町浦上へ来住したとき、義経が生 前めでていたヒバの苗木二本を持ってきたというのと、泉家一九代兵右衛が、祖先の城跡奥州唐沢山を とむらっての帰りに、ヒバの苗木五本を携えてきたということである。 これが三八代当主、泉正孝氏の庭に生育している二本の元祖アテである。太いものは目回り3.95m、 樹齢700年とも400年ともいわれている。 あと一説は、前田五代の藩主綱紀が、ヒバの苗木移出を禁じていた津軽へ藩士を農民に変装させてヒバ 苗を取り寄せ、これを能登各郷に配与したといわれるものである。 いずれにしても藩政時代に声価の高まった輪島漆器の木地や、金沢の小羽板などの需要増大につれて 逐次増殖され、今日のアテ造林地となったのである。 能登の気候風土がアテを育てるのに適し「当った」ということで、当時の「档(トウ)」をアテと読ませたとも いわれる。 |
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品種の特性 伝承によれば、アテの人工植栽は約300年前から始められたといわれている。品種は、発根力と材質に 重点をおいて選抜あるいは陶汰が行われ、今日みられるものに固定されたと考えられる。 造林されているアテの主な分布地は、マアテが輪島市。クサアテが穴水町。エソアテが七尾市である。 この外、珠洲市、能登町の一部には、エソアテとほぼ同一の良い素性のものがあり、これを一部では、 スズアテとも呼んでいる。なお、生長が悪いため造林の少ないカナアテは、全域に分布している。 これら品種の中間的なものが20種余いわれているが、判然とした識別は困難である。 |
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利 用 アテの材質はきめ細かで粘り強く、耐久性に富んでいる。また光沢と香気があり、心材、辺材ともに帯黄白 色で優美である。ヒノキ材より堅いが加工容易で、伸縮が少なく、比重は堅い割に小さい。なお、シロアリの 食害や腐朽に強い特長があり重用される。 能登地区では、家屋建築に際して好んで使用される。また、輪島漆器の木地や建具にも使用される。 |
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(参考図書:能登のあて) |